oSasKdot ブログ2 K-tanさんのBlog
執筆 :
K-tan 2012-1-25 8:56
前回の続きだ。
僕のような使い方をしていると、たった二人しかいいないグループがたくさんできる。
それに僕は同窓会のグループを作ってそこに10人を招待しても、その10人とは個別に
2人だけのグループも作ったりする。だって10人みんなで話したいこともあれば、
そのうちの一人と秘密の話で盛り上がりたい時だってある。・・・ということで、
グループ数はすごく増える。
そしてその増えすぎたグループに対してどうしたらいいのかということが、サイボウズ
Liveは優れている。グループごとに新着があったかどうかを知ることができるし、
グループをフォルダで分類することもできる。そして僕がいったいいくつのグループに
属しているのか、そもそも僕が誰とサイボウズLiveでつながっているのかなどは、一切
他人にはうかがい知れない。この点はmixiなどとは違う。
いやmixiはもしかしたら最近では秘密グループやマイミク非公開みたいな機能がある
のかもしれないが、それはメインではないはずだ。mixiの基本理念はやはりオープン型
であって、そこにクローズ型も混ぜられるようにしただけに過ぎない。両方をサポート
すればもちろん機能は複雑になってややこしくなり、ユーザは使い分けで少々混乱し、
結局はあまりいい結果にはならないだろう。設計方針だって両方の使い方にいい顔を
しなければいけないので、中途半端になりやすいだろう。あれもこれもできるというのは
これしかできないがこれなら得意です、というものには勝てないのだ。
サイボウズLiveでは、グループによって自分の見せたいプロフィールを個別に設定
できる。僕はあるグループではK-tanであり、別のグループでは川合であり、また別の
グループでは学生時代のあだ名を名乗っている。顔写真も別々に設定できる、住所や
電話番号や所属も自由にできる。だからあるグループに対してはまじめな住所などを
公開し、別のグループでは都道府県程度にとどめ、またあるグループでは「太陽系
第三惑星」なんて書いておくことができる。遊べるのだ。個人情報も十分に守れる。
これはくだらないようで非常に重要な機能だ。個人情報を見せるか見せないかが選択
できるなんて言うレベルとは違う。学生時代の友人と、学生時代を思わせるようなプロ
フィール画像で、当時のあだ名で呼び合って話をすると、どれほど会話が弾むか比べて
みてほしい。違和感がないのだ。ハンドル名で知り合った人と実名で会話しても、
なんかしっくりこないのを経験した人は多いだろう。同窓会で結婚して姓が変わっても
旧姓で呼びたくなる感じを経験したことはないだろうか。
そしてプロフィールで遊べば、それはそれだけでも楽しいが、それだけじゃない。そこ
から話題が生まれることもある。それがまた楽しい。お、プロフィール画像変えたねー、
それどうしたんだ?とかだ。
もちろんmixiでもアカウントをたくさん作って、それぞれを使い分ければ同じような
ことはできる。Facebookも規約を無視して実名じゃないアカウントを量産すればいい
かもしれない。しかしそれをどうやって管理するのか?激しく混乱し、面倒になるだけ
だ。使い分けのために何度もログインしなおすことになりそうだ。
これは僕の勝手な想像だが、mixiやFacebookは人と人とがつながることを重視する。
新しい人と安心してつながるためには、相手が信用できなければいけない。そのためには
所属するグループによって呼び名が変わるようなシステムは目的に即していない。だから
こういう設計になっているのは当然であって妥当な仕様だ。・・・一方でサイボウズLive
は「出会い機能」なんてほとんど考慮してない。あったとしてもそれはおまけだ。断じて
メインではない。それよりも既に知り合っている人同士が、いかに効率よくコミュニケー
ションをとるか、ということを重視しているように見える。だからそのためにマルチ
プロフィールが有効なら迷わずに導入する。グループをたくさん作れることが有用なら、
たくさん作って管理しやすいようにする。そういうことなのだ。
だからサイボウズLiveをやったからといってmixiやFacebookをやめる必要はない。新しい
友達がほしいとか、友達の友達と知り合う機会がほしいのなら、それはサイボウズLive
ではかなわない目的だ。またオープンに情報発信したい場合もあるだろうから、こういう
ブログやtwitterなどをやめる必要もない。サイボウズLiveは競合していないのだ。
(つづく)
僕のような使い方をしていると、たった二人しかいいないグループがたくさんできる。
それに僕は同窓会のグループを作ってそこに10人を招待しても、その10人とは個別に
2人だけのグループも作ったりする。だって10人みんなで話したいこともあれば、
そのうちの一人と秘密の話で盛り上がりたい時だってある。・・・ということで、
グループ数はすごく増える。
そしてその増えすぎたグループに対してどうしたらいいのかということが、サイボウズ
Liveは優れている。グループごとに新着があったかどうかを知ることができるし、
グループをフォルダで分類することもできる。そして僕がいったいいくつのグループに
属しているのか、そもそも僕が誰とサイボウズLiveでつながっているのかなどは、一切
他人にはうかがい知れない。この点はmixiなどとは違う。
いやmixiはもしかしたら最近では秘密グループやマイミク非公開みたいな機能がある
のかもしれないが、それはメインではないはずだ。mixiの基本理念はやはりオープン型
であって、そこにクローズ型も混ぜられるようにしただけに過ぎない。両方をサポート
すればもちろん機能は複雑になってややこしくなり、ユーザは使い分けで少々混乱し、
結局はあまりいい結果にはならないだろう。設計方針だって両方の使い方にいい顔を
しなければいけないので、中途半端になりやすいだろう。あれもこれもできるというのは
これしかできないがこれなら得意です、というものには勝てないのだ。
サイボウズLiveでは、グループによって自分の見せたいプロフィールを個別に設定
できる。僕はあるグループではK-tanであり、別のグループでは川合であり、また別の
グループでは学生時代のあだ名を名乗っている。顔写真も別々に設定できる、住所や
電話番号や所属も自由にできる。だからあるグループに対してはまじめな住所などを
公開し、別のグループでは都道府県程度にとどめ、またあるグループでは「太陽系
第三惑星」なんて書いておくことができる。遊べるのだ。個人情報も十分に守れる。
これはくだらないようで非常に重要な機能だ。個人情報を見せるか見せないかが選択
できるなんて言うレベルとは違う。学生時代の友人と、学生時代を思わせるようなプロ
フィール画像で、当時のあだ名で呼び合って話をすると、どれほど会話が弾むか比べて
みてほしい。違和感がないのだ。ハンドル名で知り合った人と実名で会話しても、
なんかしっくりこないのを経験した人は多いだろう。同窓会で結婚して姓が変わっても
旧姓で呼びたくなる感じを経験したことはないだろうか。
そしてプロフィールで遊べば、それはそれだけでも楽しいが、それだけじゃない。そこ
から話題が生まれることもある。それがまた楽しい。お、プロフィール画像変えたねー、
それどうしたんだ?とかだ。
もちろんmixiでもアカウントをたくさん作って、それぞれを使い分ければ同じような
ことはできる。Facebookも規約を無視して実名じゃないアカウントを量産すればいい
かもしれない。しかしそれをどうやって管理するのか?激しく混乱し、面倒になるだけ
だ。使い分けのために何度もログインしなおすことになりそうだ。
これは僕の勝手な想像だが、mixiやFacebookは人と人とがつながることを重視する。
新しい人と安心してつながるためには、相手が信用できなければいけない。そのためには
所属するグループによって呼び名が変わるようなシステムは目的に即していない。だから
こういう設計になっているのは当然であって妥当な仕様だ。・・・一方でサイボウズLive
は「出会い機能」なんてほとんど考慮してない。あったとしてもそれはおまけだ。断じて
メインではない。それよりも既に知り合っている人同士が、いかに効率よくコミュニケー
ションをとるか、ということを重視しているように見える。だからそのためにマルチ
プロフィールが有効なら迷わずに導入する。グループをたくさん作れることが有用なら、
たくさん作って管理しやすいようにする。そういうことなのだ。
だからサイボウズLiveをやったからといってmixiやFacebookをやめる必要はない。新しい
友達がほしいとか、友達の友達と知り合う機会がほしいのなら、それはサイボウズLive
ではかなわない目的だ。またオープンに情報発信したい場合もあるだろうから、こういう
ブログやtwitterなどをやめる必要もない。サイボウズLiveは競合していないのだ。
(つづく)
執筆 :
K-tan 2012-1-24 9:29
これから何日かかけて「サイボウズLive」の話をしようと思う。
まず最初に言っておくけど、僕はサイボウズ・ラボの社員なので、この話は自社
(正確には本社)の製品をほめているだけということだ。だから話半分に聞くべきだと
感じたら是非そうしてほしい。そこはフェアにやりたい。
まずは忘れないうちにURLを書いておこう。 https://cybozulive.com/
僕はサイボウズ・ラボ内でもっともサイボウズLiveを酷使しているヘビーユーザで、
おそらく本社を含めても僕以上に過激に使っている人はせいぜい数人だと思う。それ
くらい僕はこのソフトがお気に入りだ。僕は気に入ったソフトウェアのことはほめない
ではいられない。だからこの文章も会社に頼まれたとかじゃなくて、自発的に書いて
いる。もしかしたらそんな勝手なことを書くなと、あとから削除することになるかも
しれない(笑)。
現在、サイボウズLiveの利用は無料になっている。大規模に使うヘビーユーザに課金する
計画はあるが、まだ課金は始まっていない。無料の間だけ試しに使ってみてもいいし、
うさんくさいと思えば使わなくてもいい。別に僕はそれで困るわけじゃない。とにかく
僕は使う。まあ無料だし、登録には個人情報もほとんど要らないから試してみて損は
ないと思う。だからおすすめではある。
サイボウズLiveというのは、一見するとmixiやFacebookの亜種のように見えると思う。
実際そういうとららえ方もできるつくりではある。しかし基本的な目的は大きく違って
いて、そのため細部の設計方針は異なっている。
---
さて具体的な使い方の話をしよう。サイボウズLiveのライバルはmixiやFacebookでは
ない。だからそういう用途の代用にはしない。もっとぜんぜん違う用途だ。もっとも
おすすめできる用途、それは十分に親しい人とのメールの代用である。
僕は親しい人にメールを書く。返事ももらう。そうやって話をする。これはとても
楽しい。・・・同じことは、サイボウズLiveでもできる。どうやってやるのかというと、
まず友人と二人だけのグループを作る。そしてグループ内には掲示板があるから、
その掲示板に書きたいことを書きたいだけ書く。たった一つの掲示板に交互に書いても
よいし、掲示板をいくつか作って書き分けてもいい。PC関係の話、それ以外の雑談、
みたいに。・・・そう、それだけのことだ。なんと簡単なことだろう。
二人だけの掲示板を持つということが、これほど便利だとは僕は知らなかった。メール
と比べてどこがいいかを書こう。まず掲示板にはメールの作法が要らない。たとえば、
過剰な引用なんかしない。メールはそれぞれがばらばらなので、話の流れを思い出して
もらうためにも多めの引用は避けられない。掲示板には発言番号がつくので、>>3とか
やればどの話題への返事なのかも簡単に示せる。またシグネチャとかも書かない。
そういう文化的背景を持っていないのだ、掲示板は。
結果として、掲示板に書かれた文章はものすごく見通しがよくなる。メールの比では
ない。もうメールには戻れない。当たり前だけど、その掲示板に書かれている文章は
その人との会話だけであり、ノイズは全くない。テーマごとに掲示板を分けているとき
はなおさらだ。メールはノイズが多い。フォルダをたくさん作って自動振り分けすれば
これは改善するが、特に何もしなくても自動的にこうなってくれるのは実にうれしい。
サイボウズLiveの掲示板は、投稿できる文章の長さには特に制限がないようで、本気の
長文も問題なく投稿できる。必要もないのに複数の投稿に分けたりする必要はない。
またサイボウズLiveの掲示板は、2chの掲示板などとは異なり、自分の発言を削除する
ことができる。メールでは、間違って送信してしまったら、もう相手に削除を頼む以外
に方法はない。だから送信前にあて先が間違っていないか、かなり用心しなければいけ
ない。気楽には書けない。
そしてサイボウズLiveの掲示板ではファイル添付もできる。添付したファイルが画像
なら、それはファイルとして存在すると同時に画像としても表示される。これでちょっと
した写真とかを見せ合うのは本当に楽しい。
これらは完全にプライベートであって、誰かに見られるとかいう心配はない。それは
メールに匹敵する。消せることも加味すればメール以上か。2chなどの公開型掲示板+
便利な2chブラウザの組み合わせでも似たようなことはできるかもしれないが、それは
公開型である。サイボウズLiveは非公開型であり個人情報に気を使う必要は全くない。
httpsで通信するので、プレーンテキストのメールなんかよりもずっと安心だ。じゃあ
パスワードなども通知できそうだ(まだやったことはないけど)。
メールのことを悪く言ってしまったが、僕はメールにも感謝している。僕が最初に電子
メールを使い始めたころ、これはなんと便利なのだろうと思った。手紙よりも速くて
安い。紙も要らない。電話と違って記録が簡単に残る。だから僕はメールが大好きに
なった。それからどれだけメールを使ってきたか知れない。・・・そして今、僕は
手紙や電話からメールに移行したように、メールからサイボウズLiveへ移行している。
2人だけじゃない、3人や4人のグループでもいい。同じことはおそらくメーリングリスト
でもできるが、サイボウズLiveのほうが何倍も便利だろう。
---
(つづく)
(ねた:イベントなどの他の使い方、ひとりグループ、他のSNSとの比較)
まず最初に言っておくけど、僕はサイボウズ・ラボの社員なので、この話は自社
(正確には本社)の製品をほめているだけということだ。だから話半分に聞くべきだと
感じたら是非そうしてほしい。そこはフェアにやりたい。
まずは忘れないうちにURLを書いておこう。 https://cybozulive.com/
僕はサイボウズ・ラボ内でもっともサイボウズLiveを酷使しているヘビーユーザで、
おそらく本社を含めても僕以上に過激に使っている人はせいぜい数人だと思う。それ
くらい僕はこのソフトがお気に入りだ。僕は気に入ったソフトウェアのことはほめない
ではいられない。だからこの文章も会社に頼まれたとかじゃなくて、自発的に書いて
いる。もしかしたらそんな勝手なことを書くなと、あとから削除することになるかも
しれない(笑)。
現在、サイボウズLiveの利用は無料になっている。大規模に使うヘビーユーザに課金する
計画はあるが、まだ課金は始まっていない。無料の間だけ試しに使ってみてもいいし、
うさんくさいと思えば使わなくてもいい。別に僕はそれで困るわけじゃない。とにかく
僕は使う。まあ無料だし、登録には個人情報もほとんど要らないから試してみて損は
ないと思う。だからおすすめではある。
サイボウズLiveというのは、一見するとmixiやFacebookの亜種のように見えると思う。
実際そういうとららえ方もできるつくりではある。しかし基本的な目的は大きく違って
いて、そのため細部の設計方針は異なっている。
---
さて具体的な使い方の話をしよう。サイボウズLiveのライバルはmixiやFacebookでは
ない。だからそういう用途の代用にはしない。もっとぜんぜん違う用途だ。もっとも
おすすめできる用途、それは十分に親しい人とのメールの代用である。
僕は親しい人にメールを書く。返事ももらう。そうやって話をする。これはとても
楽しい。・・・同じことは、サイボウズLiveでもできる。どうやってやるのかというと、
まず友人と二人だけのグループを作る。そしてグループ内には掲示板があるから、
その掲示板に書きたいことを書きたいだけ書く。たった一つの掲示板に交互に書いても
よいし、掲示板をいくつか作って書き分けてもいい。PC関係の話、それ以外の雑談、
みたいに。・・・そう、それだけのことだ。なんと簡単なことだろう。
二人だけの掲示板を持つということが、これほど便利だとは僕は知らなかった。メール
と比べてどこがいいかを書こう。まず掲示板にはメールの作法が要らない。たとえば、
過剰な引用なんかしない。メールはそれぞれがばらばらなので、話の流れを思い出して
もらうためにも多めの引用は避けられない。掲示板には発言番号がつくので、>>3とか
やればどの話題への返事なのかも簡単に示せる。またシグネチャとかも書かない。
そういう文化的背景を持っていないのだ、掲示板は。
結果として、掲示板に書かれた文章はものすごく見通しがよくなる。メールの比では
ない。もうメールには戻れない。当たり前だけど、その掲示板に書かれている文章は
その人との会話だけであり、ノイズは全くない。テーマごとに掲示板を分けているとき
はなおさらだ。メールはノイズが多い。フォルダをたくさん作って自動振り分けすれば
これは改善するが、特に何もしなくても自動的にこうなってくれるのは実にうれしい。
サイボウズLiveの掲示板は、投稿できる文章の長さには特に制限がないようで、本気の
長文も問題なく投稿できる。必要もないのに複数の投稿に分けたりする必要はない。
またサイボウズLiveの掲示板は、2chの掲示板などとは異なり、自分の発言を削除する
ことができる。メールでは、間違って送信してしまったら、もう相手に削除を頼む以外
に方法はない。だから送信前にあて先が間違っていないか、かなり用心しなければいけ
ない。気楽には書けない。
そしてサイボウズLiveの掲示板ではファイル添付もできる。添付したファイルが画像
なら、それはファイルとして存在すると同時に画像としても表示される。これでちょっと
した写真とかを見せ合うのは本当に楽しい。
これらは完全にプライベートであって、誰かに見られるとかいう心配はない。それは
メールに匹敵する。消せることも加味すればメール以上か。2chなどの公開型掲示板+
便利な2chブラウザの組み合わせでも似たようなことはできるかもしれないが、それは
公開型である。サイボウズLiveは非公開型であり個人情報に気を使う必要は全くない。
httpsで通信するので、プレーンテキストのメールなんかよりもずっと安心だ。じゃあ
パスワードなども通知できそうだ(まだやったことはないけど)。
メールのことを悪く言ってしまったが、僕はメールにも感謝している。僕が最初に電子
メールを使い始めたころ、これはなんと便利なのだろうと思った。手紙よりも速くて
安い。紙も要らない。電話と違って記録が簡単に残る。だから僕はメールが大好きに
なった。それからどれだけメールを使ってきたか知れない。・・・そして今、僕は
手紙や電話からメールに移行したように、メールからサイボウズLiveへ移行している。
2人だけじゃない、3人や4人のグループでもいい。同じことはおそらくメーリングリスト
でもできるが、サイボウズLiveのほうが何倍も便利だろう。
---
(つづく)
(ねた:イベントなどの他の使い方、ひとりグループ、他のSNSとの比較)
執筆 :
K-tan 2011-8-31 18:09
今日は僕の長い夏休みの最後の日だ。
僕は今まで会社員ではなかった。短大の教員になったことはあったが、非常勤講師だった。これは正社員と比べれば夏休みにアルバイトをするのと大差ない。
そんな僕もついに就職することにした。明日から入社だ。行き先はサイボウズ・ラボ株式会社。・・・ええとこのブログを読んでいる人向けに言うのなら、あのhigeponさんが行っている会社だ。そしてOSASKについてアドバイスをくれた(アプリも作ってくれた)光成さんもいる会社だ。セプキャンを知っている人向けに言うのなら、竹迫さんがいる会社だ(昨年までは天野さんもいた)。未踏ユースを知っている人向けに言うのなら、西尾さんがいる会社だ。なんかこういうとものすごくたくさんの人がいる大きな会社のように思うかもしれないが、社員数はそんなに多くはない、十人ちょっとだ。つまり少数精鋭の会社なのだ。
僕は前からここで仕事ができたらなーと思っていた。そしたらなんと内定をもらうことができた(35歳を超えているのに!)。ありがたやー。会社の足を引っ張ることのないようにがんばりたい。
ということで、僕の11年以上続いた夏休みは終わりだ。無論今後も土日に開発はするつもりなので、進展があれば紹介したいと思う。
僕は今まで会社員ではなかった。短大の教員になったことはあったが、非常勤講師だった。これは正社員と比べれば夏休みにアルバイトをするのと大差ない。
そんな僕もついに就職することにした。明日から入社だ。行き先はサイボウズ・ラボ株式会社。・・・ええとこのブログを読んでいる人向けに言うのなら、あのhigeponさんが行っている会社だ。そしてOSASKについてアドバイスをくれた(アプリも作ってくれた)光成さんもいる会社だ。セプキャンを知っている人向けに言うのなら、竹迫さんがいる会社だ(昨年までは天野さんもいた)。未踏ユースを知っている人向けに言うのなら、西尾さんがいる会社だ。なんかこういうとものすごくたくさんの人がいる大きな会社のように思うかもしれないが、社員数はそんなに多くはない、十人ちょっとだ。つまり少数精鋭の会社なのだ。
僕は前からここで仕事ができたらなーと思っていた。そしたらなんと内定をもらうことができた(35歳を超えているのに!)。ありがたやー。会社の足を引っ張ることのないようにがんばりたい。
ということで、僕の11年以上続いた夏休みは終わりだ。無論今後も土日に開発はするつもりなので、進展があれば紹介したいと思う。
執筆 :
K-tan 2011-6-20 23:38
今日はキャンプに関してある種の意見に対する僕の考え方を書きたい。
今年度のキャンプは、昨年までとは違って、OS自作組がなくなった。それを残念だと思う人がいる。そう思ってもらえるのは、組長だった僕にとっては、昨年までの自分のやり方を肯定してもらえているようでとてもうれしい。
その上で、さらに今回の「セキュアなOSを作ろうクラス」はあまり良くないのではないかと言う人も少しいる。要するに前のほうが良かったというのがその人の意見だ。僕はこの意見に賛成というわけではないけど、少し譲歩してそれを受け入れることにしよう(そうしないと話が進まないので)。
この人はさらにこう続ける。「じゃあ、川合がまたクラス長になって、セキュア色を骨抜きにして、事実上、昨年と同じようなことをしたらいいのでは?」と。つまり上層部の誤りを僕に正せというわけだ。
僕はこの意見には賛成しかねる。この方法では今年度は良くてもその後には続かない。僕がすべきことはこれじゃない。
僕は上層部の提案したとおりの内容を最高にやりきることが一番だと思う。それでもし本当に思わしくない結果に終われば、このクラスよりも昨年のOS組のほうがよかったと上層部も理解するだろう。・・・僕が勝手に上層部の方針を捻じ曲げれば、こういう反省をする機会がない。だから上層部は僕抜きでもう一度やろうとするはずだ。優秀な上層部ならそうするはずだ。
この場合、どうせ失敗するからといい加減に手抜きするのはだめだ。それでは失敗の原因が上層部の決めた方針なのか、それとも僕の能力不足なのかが分からないから。
だから僕は(講師になれたら)方針通りにやりきる。まあそもそも僕は今回の方針に批判的ではない。むしろ面白そうだと感じている。・・・ついでに言っておくと僕は多分クラス長にはならない。僕が「今回はセキュリティに詳しい人がクラス長であるべきだ」と思っているので。
昨年まではLinuxカーネル組があったので、僕たちはあえて「できすぎる人は取らない」という思い切った方針を取ることができた。でも今年度は違う。今年度は多分他のクラスのように、単純に実力のありそうな人から選ばれるだろう。それでいいと僕は思う。というか今回はそうあるべきだと思う。
---
このままだとキャンプに関心のない人にとってあまりに無益なので、一般論を書くことにしよう。
要するに僕の言っていることは、「とにかくやるなら徹底的にやれ。そうしなければ何も得られない」ということだ。全力でやって大失敗に終わるのは、最悪ではないのだ。最悪なのは中途半端にやることだ。中途半端にやれば失敗するのは当然なのであって、そこからは何も得られない。
またトップの意思決定をないがしろにしてもいいことはない。間違っていると思うのなら意見すればいい。でも意見が聞き入れられなくても、それをボイコットしたりサボタージュすることが最良ではないのだ。言って分かってもらえないのなら、とりあえずその方針を全面的に受け入れてどうなるのかを共に体験すればいいのだ。・・・トップと中間や末端での意思統一ができなければ、それはもはや組織としてまとまっている価値がない。それではうまく行くものもうまく行かない。
失敗を恐れてはいけない。失敗は最悪ではないのだ。ちゃんとやったけど失敗したというのは、十分に役立つ情報である。最悪は何も得られないことだ。失敗したし教訓も得られない、これが最悪なのだ。こうなるともう一度やり直さなければならない。これはつまり時間の浪費である。そんな中途半端をやるくらいなら、いっそそれは完全にやめて別のことをしたらいいだろう。僕はそう思う。
今年度のキャンプは、昨年までとは違って、OS自作組がなくなった。それを残念だと思う人がいる。そう思ってもらえるのは、組長だった僕にとっては、昨年までの自分のやり方を肯定してもらえているようでとてもうれしい。
その上で、さらに今回の「セキュアなOSを作ろうクラス」はあまり良くないのではないかと言う人も少しいる。要するに前のほうが良かったというのがその人の意見だ。僕はこの意見に賛成というわけではないけど、少し譲歩してそれを受け入れることにしよう(そうしないと話が進まないので)。
この人はさらにこう続ける。「じゃあ、川合がまたクラス長になって、セキュア色を骨抜きにして、事実上、昨年と同じようなことをしたらいいのでは?」と。つまり上層部の誤りを僕に正せというわけだ。
僕はこの意見には賛成しかねる。この方法では今年度は良くてもその後には続かない。僕がすべきことはこれじゃない。
僕は上層部の提案したとおりの内容を最高にやりきることが一番だと思う。それでもし本当に思わしくない結果に終われば、このクラスよりも昨年のOS組のほうがよかったと上層部も理解するだろう。・・・僕が勝手に上層部の方針を捻じ曲げれば、こういう反省をする機会がない。だから上層部は僕抜きでもう一度やろうとするはずだ。優秀な上層部ならそうするはずだ。
この場合、どうせ失敗するからといい加減に手抜きするのはだめだ。それでは失敗の原因が上層部の決めた方針なのか、それとも僕の能力不足なのかが分からないから。
だから僕は(講師になれたら)方針通りにやりきる。まあそもそも僕は今回の方針に批判的ではない。むしろ面白そうだと感じている。・・・ついでに言っておくと僕は多分クラス長にはならない。僕が「今回はセキュリティに詳しい人がクラス長であるべきだ」と思っているので。
昨年まではLinuxカーネル組があったので、僕たちはあえて「できすぎる人は取らない」という思い切った方針を取ることができた。でも今年度は違う。今年度は多分他のクラスのように、単純に実力のありそうな人から選ばれるだろう。それでいいと僕は思う。というか今回はそうあるべきだと思う。
---
このままだとキャンプに関心のない人にとってあまりに無益なので、一般論を書くことにしよう。
要するに僕の言っていることは、「とにかくやるなら徹底的にやれ。そうしなければ何も得られない」ということだ。全力でやって大失敗に終わるのは、最悪ではないのだ。最悪なのは中途半端にやることだ。中途半端にやれば失敗するのは当然なのであって、そこからは何も得られない。
またトップの意思決定をないがしろにしてもいいことはない。間違っていると思うのなら意見すればいい。でも意見が聞き入れられなくても、それをボイコットしたりサボタージュすることが最良ではないのだ。言って分かってもらえないのなら、とりあえずその方針を全面的に受け入れてどうなるのかを共に体験すればいいのだ。・・・トップと中間や末端での意思統一ができなければ、それはもはや組織としてまとまっている価値がない。それではうまく行くものもうまく行かない。
失敗を恐れてはいけない。失敗は最悪ではないのだ。ちゃんとやったけど失敗したというのは、十分に役立つ情報である。最悪は何も得られないことだ。失敗したし教訓も得られない、これが最悪なのだ。こうなるともう一度やり直さなければならない。これはつまり時間の浪費である。そんな中途半端をやるくらいなら、いっそそれは完全にやめて別のことをしたらいいだろう。僕はそう思う。
執筆 :
K-tan 2011-6-19 15:00
今日はこれの感想を書きたい。
http://d.hatena.ne.jp/oasis_dev/20110610/1307709399
自作OSにはセキュリティは不要だ。なぜなら誰にも攻撃されないから。攻撃されないものにセキュリティを付けてもセキュリティの強さを証明する機会はなく、だから評価されない。・・・という趣旨だと思う。なるほど。
まあ確かにそれは一つの見解だ。でもこうならない場合もある。
自作OSにセキュリティの機能をちゃんと付けたとしよう。もしそれが既存のセキュリティ理論に基づくセキュリティ対策どまりであれば、確かにそれはあまり評価されない。当たり前のことを当たり前にしただけだから。ふーん、そうなの、おもしろいね、くらいだろう。
しかし本気でセキュリティに対して考えて、もう絶対に負けませんと言い切れるくらいの画期的な方法を思いついて、それを実装したとしよう。そして自分で攻撃コードを作ってもいい。「WindowsやLinuxではこういう攻撃に対しては防御できていませんよね、でもこの自作OSでは大丈夫です。なぜなら・・・」みたいに言い切るのだ。
そうするとどうなるか。世間はちゃんと注目するし評価もしてくれる。これは本当の話だ。そのアルゴリズムはやがて他のOSにも取り入れられるだろう。まあ自分のOSは普及しないかもしれないが、それでもいいではないか。
OSASKは普及し始めるかもしれないところまで来たと感じられるところまでいった。OSASKは起動速度やサイズにこだわって、それは評価された。エミュレータOSという設計思想も評価された。しかし僕自身には「普及させたい」という野心がほとんどなく、それよりも「もっと究極のOSを見たい」という願望があって、デバイスドライバやネットワークなどの「(僕にとっては)つまらない」ものを後回しにし続けた。そのせいで貴重なチャンスをふいにして、結局普及はしなかった。でも僕は気にしてない。
自作OSで一番いけないのは、既存のものに対してなんのメリットもなくなることだ。追いつくだけでは駄目だ。追い抜かなければいけない。それはどんな追い抜き方であってもいいし、ある一点のみでしか勝てなくてもいい。それさえあれば注目されて問い合わせが来る。本当に来る。イヤになるほど来る。
話が脱線した。セキュリティに話を戻す。確かに普及しなければ高度な攻撃コードを書かれる心配はないだろう。しかしそれでもセキュリティに強いOSを作ることはできるし、それを実証することもできて、評価もされるのだ。いいOSを作って、既存のOSはなんてだらしがないんだと言ってやればいい。多くの人が振り向く。
今回はセキュリティコースなので、実際にOSを作ることよりも、セキュリティについて学ぶことのほうが大切だろう。セキュアなOSを作るのは、ちゃんとセキュリティについて学べているかどうかの演習問題だ。だからそうやって作ったOSそのものが普及しないとしても問題ないと僕は思う。でもそのセキュリティ技術がどのOSにも取り入れられることがないのなら、それはさみしいと思う。
今回はOSを作ることそのものは目的ではないと僕は思っている。もう自力でOSが作れる人を集めて、その人たちにセキュリティについても学んでもらって、セキュリティも分かるOS屋になってもらうことだ。もしくはOSも分かるセキュリティ屋でもいい。
http://d.hatena.ne.jp/oasis_dev/20110610/1307709399
自作OSにはセキュリティは不要だ。なぜなら誰にも攻撃されないから。攻撃されないものにセキュリティを付けてもセキュリティの強さを証明する機会はなく、だから評価されない。・・・という趣旨だと思う。なるほど。
まあ確かにそれは一つの見解だ。でもこうならない場合もある。
自作OSにセキュリティの機能をちゃんと付けたとしよう。もしそれが既存のセキュリティ理論に基づくセキュリティ対策どまりであれば、確かにそれはあまり評価されない。当たり前のことを当たり前にしただけだから。ふーん、そうなの、おもしろいね、くらいだろう。
しかし本気でセキュリティに対して考えて、もう絶対に負けませんと言い切れるくらいの画期的な方法を思いついて、それを実装したとしよう。そして自分で攻撃コードを作ってもいい。「WindowsやLinuxではこういう攻撃に対しては防御できていませんよね、でもこの自作OSでは大丈夫です。なぜなら・・・」みたいに言い切るのだ。
そうするとどうなるか。世間はちゃんと注目するし評価もしてくれる。これは本当の話だ。そのアルゴリズムはやがて他のOSにも取り入れられるだろう。まあ自分のOSは普及しないかもしれないが、それでもいいではないか。
OSASKは普及し始めるかもしれないところまで来たと感じられるところまでいった。OSASKは起動速度やサイズにこだわって、それは評価された。エミュレータOSという設計思想も評価された。しかし僕自身には「普及させたい」という野心がほとんどなく、それよりも「もっと究極のOSを見たい」という願望があって、デバイスドライバやネットワークなどの「(僕にとっては)つまらない」ものを後回しにし続けた。そのせいで貴重なチャンスをふいにして、結局普及はしなかった。でも僕は気にしてない。
自作OSで一番いけないのは、既存のものに対してなんのメリットもなくなることだ。追いつくだけでは駄目だ。追い抜かなければいけない。それはどんな追い抜き方であってもいいし、ある一点のみでしか勝てなくてもいい。それさえあれば注目されて問い合わせが来る。本当に来る。イヤになるほど来る。
話が脱線した。セキュリティに話を戻す。確かに普及しなければ高度な攻撃コードを書かれる心配はないだろう。しかしそれでもセキュリティに強いOSを作ることはできるし、それを実証することもできて、評価もされるのだ。いいOSを作って、既存のOSはなんてだらしがないんだと言ってやればいい。多くの人が振り向く。
今回はセキュリティコースなので、実際にOSを作ることよりも、セキュリティについて学ぶことのほうが大切だろう。セキュアなOSを作るのは、ちゃんとセキュリティについて学べているかどうかの演習問題だ。だからそうやって作ったOSそのものが普及しないとしても問題ないと僕は思う。でもそのセキュリティ技術がどのOSにも取り入れられることがないのなら、それはさみしいと思う。
今回はOSを作ることそのものは目的ではないと僕は思っている。もう自力でOSが作れる人を集めて、その人たちにセキュリティについても学んでもらって、セキュリティも分かるOS屋になってもらうことだ。もしくはOSも分かるセキュリティ屋でもいい。
執筆 :
K-tan 2011-6-10 8:46
今日は http://d.hatena.ne.jp/oasis_dev/20110609/ を読んだ感想を書こうと思う。
でもまず最初に断っておかなければいけない。僕は2009と2010年のキャンプのOS自作組の講師だったけど、2011のキャンプの講師になれるかどうかは分からない。なりたいとは思っているけど、まだ決まっていない。だから僕がここで何を言っても実際のキャンプには反映されないかもしれない。
どんなにいいOSを作っても、結局使ってもらえなければ意味がないというoasis_devさんの考えが、このブログの肝だと僕は思う。確かにその考えは一理ある。
でも僕はあえて反論しよう。しかし僕は自分の考えを押し付けたいわけじゃない。僕の考え方も理解した上で、それでもそれを批判できるようになってほしい。そこまで深く考えてほしい。深く考えた上で結論が変わったのならそれでもいいし、深く考えても結論が変わらなければそれでもいい。つまり僕は深く考える材料を提供したいだけだ。
まず僕はOSを作るとき、それを誰かに使ってもらおうなんて考えてない。誰かの役に立たせようと思っていない。しかし作ることそのものが楽しいからやっているというわけでもない。もちろん作るのは楽しいが、それが目的ではないのだ。
OSを作ることで誰かの役に立つことはできる。でも誰かの役に立つためには、その誰かがほしいOSを作るべきであって、自分の作りたいOSを作るべきではない。誰かを助けるには、その人が必要とすることをしなければいけない。・・・自分がやりたいことをやっていれば、それを周囲も必要としてくれる、なんていう幸せな奇跡が起こることもあるけど、それが常に成立するなんてことはない。
人の役に立つことは、たいていは面倒でつらくておもしろくないものだ。だって楽で簡単で楽しければ他人に頼らずに自分でやるだろう。人の役に立つためにはそれだけの覚悟が必要だと僕は思う。
僕のOSの作り方はぜんぜん違う。僕は既存のOSに不満がある。ここをこうすればもっとよくなるのに、って思う。だから自分が使うためにOSを作る。僕以外の誰もが使わなくても、僕が使うから問題ない。きわめて単純だ。その上で、もし僕が作ったものが誰かの役に立つのなら、それはうれしいので提供する。それだけのことだ。
「それではいけない」と思うのかもしれない。最初から普及させることを前提にして作るべきだと思うのかもしれない。だったら自作OSは遠回りだ。Linuxを改良する多くの人たちに加わるべきだ。言うまでもなくそれはすばらしいことだ。
でも非Linuxだって世間に役立つこともある。たとえばPlan9というすばらしいOSがあるが、そこで考案されたUnicodeはLinuxだけではなく他のOSにも取り入れられた。このように自作OSで先進的なアイデアを実装して効用を実証できれば、他のOSにその技術が取り入れられることもあると僕は信じる。それではいけないのか?
作っているOSがだんだんLinuxっぽくなってきて面白くないと感じたら、それは自問する時期に達したということだ。「なぜ」自分はOSを作っているのかと。Linuxっぽいものを目指しているのなら、遠慮せずにLinuxからコードをもらってくればいい。そのほうが早い。使えるものは何でも使えばいいのだ。Linuxと違う部分があるのならそこだけ作ればいいではないか。そのOSでは何ができるようにしたいのか、そのためにはどういう手順で作っていくのがいいのか、ついにそういうことを考える段階にまできたのだ。これは大きな前進だ。
キャンプがどういう人材育成を目指すべきなのか、それは僕には分からない。しかしセキュアなOSを作るとはいっても、キャンプで作ったOSをそのまま世間の人たちが使うような展開は考えていないと思う。もう少し気の長い話だ。キャンプで学んだことを発展させてそして何年か後にIT産業に役立てばいいのだ。
もし5日間の期間中に実用的な成果を求めるのなら、それは政府の事業である必要は多分ないだろう。民間企業がやっても採算が合うから。・・・きっとキャンプは、すぐには採算は取れないけど、でもこういうことを長く続けていけば、いつかは花が咲く、と信じて気長にやっているのだろう。それは民間企業ではなかなかできない。ライバル同士が手を組み、業界を盛り上げようと協力し合わないとできない。IPAはそういう協力関係ができるまでの間、代わりに国費を使ってやっていこうとしているのだと思う。
今回OS自作組は消滅した。つまりIPAとしてはOS自作を支援する必要はないと判断したのだろう。支援しなくてももうやっていけると思ったのかもしれない。もしくは支援すべきではあるけど、でも今は先にやるべきことがあって、それでやむなく今回はやらないことにしたのかもしれない。
そしてその代わりにセキュアなOSを作るクラスができた。これは新しいクラスだ。しかもプログラミングコースではなくセキュリティコースだ。IPAはそういう技術者がもっと必要だと思っているのだ。それが正しいのか間違っているのかは僕には分からない。僕は国内のIT産業がどういう状況におかれているのか分からないから。でももし僕が講師になれたら、IPAの意を汲んで、セキュリティに配慮したOS自作のあり方を考えたいと思う。
もし僕が講師になれたら、僕は昨年までのOS自作組よりも募集レベルを上げるようにお願いすると思う。上記のブログにもあるように、セキュリティについて話をしていくのであれば、OSを作る段階で四苦八苦しているわけにはいかない。もうOS自作入門は教科書にはしないけど、それを読破しているくらいのスキルは要求すると思う。
まあ要求レベルを上げすぎると今度は誰も合格しなくなってしまうので、その辺は調節しなければいけないけれど。
追記:
>もちろん、セキュアOS組の応募を間近に控えた状況でこのような
>記事を書くことは僕自身にとって不利になる事は十分に承知して
>います。(そんなに嫌なら応募しなきゃいいじゃん、って言われ
>て当たり前ですし、僕が選考する側の人間だったら間違いなく
>落とします)
この部分について僕の考えを書いておこうと思う。もし僕が選考する側だったら、批判的なブログなどを見つけてもそれで減点したりはしない。僕は減点方式が嫌いだから。応募用紙にたくさん書いてくれたら、その中で「いいな」と思うものの数を数える。悪いことが書いてあっても減点はしない。そりゃまあ簡潔にまとまっているほうが読みやすくていいけど、最初に要約があれば長文だって問題ない。
そもそも相手は子供なのだ。子供相手に完璧を求める必要があるのか。至らないところがあって当然ではないか。選考者が何を求めているのかすら事前に詳しく教えてもらっているのではないのだから、自分を余すことなく語るしかないではないか。
それに批判的なことを堂々と言える人は見込みがあるというものだ。自分の信条を隠し、言いたいことも言わないような人よりもずっと未来があるように思う。
正当な批判から逃げてはいけない。批判を受け止めてそれを生かすことこそ大人の度量だと思う。
でもまず最初に断っておかなければいけない。僕は2009と2010年のキャンプのOS自作組の講師だったけど、2011のキャンプの講師になれるかどうかは分からない。なりたいとは思っているけど、まだ決まっていない。だから僕がここで何を言っても実際のキャンプには反映されないかもしれない。
どんなにいいOSを作っても、結局使ってもらえなければ意味がないというoasis_devさんの考えが、このブログの肝だと僕は思う。確かにその考えは一理ある。
でも僕はあえて反論しよう。しかし僕は自分の考えを押し付けたいわけじゃない。僕の考え方も理解した上で、それでもそれを批判できるようになってほしい。そこまで深く考えてほしい。深く考えた上で結論が変わったのならそれでもいいし、深く考えても結論が変わらなければそれでもいい。つまり僕は深く考える材料を提供したいだけだ。
まず僕はOSを作るとき、それを誰かに使ってもらおうなんて考えてない。誰かの役に立たせようと思っていない。しかし作ることそのものが楽しいからやっているというわけでもない。もちろん作るのは楽しいが、それが目的ではないのだ。
OSを作ることで誰かの役に立つことはできる。でも誰かの役に立つためには、その誰かがほしいOSを作るべきであって、自分の作りたいOSを作るべきではない。誰かを助けるには、その人が必要とすることをしなければいけない。・・・自分がやりたいことをやっていれば、それを周囲も必要としてくれる、なんていう幸せな奇跡が起こることもあるけど、それが常に成立するなんてことはない。
人の役に立つことは、たいていは面倒でつらくておもしろくないものだ。だって楽で簡単で楽しければ他人に頼らずに自分でやるだろう。人の役に立つためにはそれだけの覚悟が必要だと僕は思う。
僕のOSの作り方はぜんぜん違う。僕は既存のOSに不満がある。ここをこうすればもっとよくなるのに、って思う。だから自分が使うためにOSを作る。僕以外の誰もが使わなくても、僕が使うから問題ない。きわめて単純だ。その上で、もし僕が作ったものが誰かの役に立つのなら、それはうれしいので提供する。それだけのことだ。
「それではいけない」と思うのかもしれない。最初から普及させることを前提にして作るべきだと思うのかもしれない。だったら自作OSは遠回りだ。Linuxを改良する多くの人たちに加わるべきだ。言うまでもなくそれはすばらしいことだ。
でも非Linuxだって世間に役立つこともある。たとえばPlan9というすばらしいOSがあるが、そこで考案されたUnicodeはLinuxだけではなく他のOSにも取り入れられた。このように自作OSで先進的なアイデアを実装して効用を実証できれば、他のOSにその技術が取り入れられることもあると僕は信じる。それではいけないのか?
作っているOSがだんだんLinuxっぽくなってきて面白くないと感じたら、それは自問する時期に達したということだ。「なぜ」自分はOSを作っているのかと。Linuxっぽいものを目指しているのなら、遠慮せずにLinuxからコードをもらってくればいい。そのほうが早い。使えるものは何でも使えばいいのだ。Linuxと違う部分があるのならそこだけ作ればいいではないか。そのOSでは何ができるようにしたいのか、そのためにはどういう手順で作っていくのがいいのか、ついにそういうことを考える段階にまできたのだ。これは大きな前進だ。
キャンプがどういう人材育成を目指すべきなのか、それは僕には分からない。しかしセキュアなOSを作るとはいっても、キャンプで作ったOSをそのまま世間の人たちが使うような展開は考えていないと思う。もう少し気の長い話だ。キャンプで学んだことを発展させてそして何年か後にIT産業に役立てばいいのだ。
もし5日間の期間中に実用的な成果を求めるのなら、それは政府の事業である必要は多分ないだろう。民間企業がやっても採算が合うから。・・・きっとキャンプは、すぐには採算は取れないけど、でもこういうことを長く続けていけば、いつかは花が咲く、と信じて気長にやっているのだろう。それは民間企業ではなかなかできない。ライバル同士が手を組み、業界を盛り上げようと協力し合わないとできない。IPAはそういう協力関係ができるまでの間、代わりに国費を使ってやっていこうとしているのだと思う。
今回OS自作組は消滅した。つまりIPAとしてはOS自作を支援する必要はないと判断したのだろう。支援しなくてももうやっていけると思ったのかもしれない。もしくは支援すべきではあるけど、でも今は先にやるべきことがあって、それでやむなく今回はやらないことにしたのかもしれない。
そしてその代わりにセキュアなOSを作るクラスができた。これは新しいクラスだ。しかもプログラミングコースではなくセキュリティコースだ。IPAはそういう技術者がもっと必要だと思っているのだ。それが正しいのか間違っているのかは僕には分からない。僕は国内のIT産業がどういう状況におかれているのか分からないから。でももし僕が講師になれたら、IPAの意を汲んで、セキュリティに配慮したOS自作のあり方を考えたいと思う。
もし僕が講師になれたら、僕は昨年までのOS自作組よりも募集レベルを上げるようにお願いすると思う。上記のブログにもあるように、セキュリティについて話をしていくのであれば、OSを作る段階で四苦八苦しているわけにはいかない。もうOS自作入門は教科書にはしないけど、それを読破しているくらいのスキルは要求すると思う。
まあ要求レベルを上げすぎると今度は誰も合格しなくなってしまうので、その辺は調節しなければいけないけれど。
追記:
>もちろん、セキュアOS組の応募を間近に控えた状況でこのような
>記事を書くことは僕自身にとって不利になる事は十分に承知して
>います。(そんなに嫌なら応募しなきゃいいじゃん、って言われ
>て当たり前ですし、僕が選考する側の人間だったら間違いなく
>落とします)
この部分について僕の考えを書いておこうと思う。もし僕が選考する側だったら、批判的なブログなどを見つけてもそれで減点したりはしない。僕は減点方式が嫌いだから。応募用紙にたくさん書いてくれたら、その中で「いいな」と思うものの数を数える。悪いことが書いてあっても減点はしない。そりゃまあ簡潔にまとまっているほうが読みやすくていいけど、最初に要約があれば長文だって問題ない。
そもそも相手は子供なのだ。子供相手に完璧を求める必要があるのか。至らないところがあって当然ではないか。選考者が何を求めているのかすら事前に詳しく教えてもらっているのではないのだから、自分を余すことなく語るしかないではないか。
それに批判的なことを堂々と言える人は見込みがあるというものだ。自分の信条を隠し、言いたいことも言わないような人よりもずっと未来があるように思う。
正当な批判から逃げてはいけない。批判を受け止めてそれを生かすことこそ大人の度量だと思う。
執筆 :
K-tan 2011-5-12 17:42
もしかしたらミスリードになるかもしれないけど、とりあえず正しいかどうかはともかくとして、アイデアは奇抜で面白い。
重力は存在しない=オランダ物理学者
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d42959.html
重力は存在しない=オランダ物理学者
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d42959.html
執筆 :
K-tan 2011-5-2 7:57
http://hrb.osask. jp/ についてGoogleにそのように判定されました(一応、不用意にクリックできないように、URLにスペースを入れています)。
そして確かに、2011.04.30にindex.htmlを加工されていました。しょうがないので直しました。
xreaではこういうことが前にもあったのですが、どうしてなのか知っている人がいたら教えてください。
僕のサイトに脆弱性があって、だからこういうことがおきるのか、それともxreaの上位がやられてそれでやられているのか、それすら判断できていません。
こうなったら、全部のファイルを.txtにしようかと思っているくらいです。スクリプトのない(あっても全部無視させる)HTMLの書き方ってないかなあ。
そして確かに、2011.04.30にindex.htmlを加工されていました。しょうがないので直しました。
xreaではこういうことが前にもあったのですが、どうしてなのか知っている人がいたら教えてください。
僕のサイトに脆弱性があって、だからこういうことがおきるのか、それともxreaの上位がやられてそれでやられているのか、それすら判断できていません。
こうなったら、全部のファイルを.txtにしようかと思っているくらいです。スクリプトのない(あっても全部無視させる)HTMLの書き方ってないかなあ。
執筆 :
K-tan 2011-5-1 10:05
最近、東京電力の人が謝っている。でも僕はこれに違和感がある。東京電力の人たちはそんなに大きな責任があるのだろうか。
政府には原子力安全保安院という機関がある。これはもちろん原子力発電所の安全性に関する業務を行っている。彼らの責任はどうなのか。・・・彼らは一度でも謝ったのか。今回のようなことが起こると事前に予想して警告したのか。それとも権限不足で満足な査察ができないと以前から訴えていたのか。
東京電力に非があるというのは簡単だけど、じゃあ何をどうすれば今回の件は回避できたのか。僕は反省すべきは原子力安全保安院であって、東京電力ではないように思えてならない。
もし今回の件で東京電力が反省して自分でこういうことがおきないように万全の対策を取るのであれば、原子力安全保安院は(原子力発電所の保安に関しては)何もすることがなくなると思う。だからその部署は解散するべきだ。また、原子力安全保安院が今回の件を反省しないのであれば、やっぱり役立たずなので解散するべきだ。なんといっても彼らは競争にさらされることもなく、十分な給料をもらい続けてきたのだ。それで満足な仕事もしないというのなら、これを悪といわずに何を悪というのか。
僕がこう思ったのは、以下のことを目にしたからだ。2006年(平成18年)の9月19日に「原子力安全委員会」というものが、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」という題名で以下のような趣旨の決定をした。
・想定よりも大きい地震が起こるかもしれない。それは「想定外」とする。このリスクを「残余のリスク」とし、各自の努力で減らす。=つまり責任を放棄して投げ出した
・参考: wikipediaの「原子力安全委員会」のページ
また以前から日本の各地の原子力発電所では、震度4程度の地震で火災が起きたり一部停電になったりしてきたようだ。震度6では放射能漏れも起きたりした。その程度の基準・審査体制だったのだ。その基準なら、今回のような地震と津波が来れば、これくらいの事故になるのは当然ではないか。だから基準が悪い。僕はそう思う。
僕は、各地で地震がおきたときにそれくらいの原発事故があったことはニュースで知っていた。でもそれをあまり問題だと感じていなかった。でも問題だと感じなければいけなかったのだ。だから僕のせいでもある。僕には東京電力を責める資格はない。
福島に住んでいて被害を受けている市民はどうなのだろう。以前から不安だから何とかしてくれといっていたのだろうか。そのたびに東京電力の人に「いや福島第一原発は他の発電所よりも厳しい基準で作っているから大丈夫ですよ」って言われたのだろうか。そういう問答をした市民は責める資格があると思うが、そうでなければ自分の責任も感じるべきだと思う。
僕は今、日本のすべての発電所に対して、どのくらいの地震がおきたらどのくらいの被害が出ると想定しているのか、公開してほしいと思う。非公開にしなければいけない理由なんてないと思うのだ。それがあれば、想定より大きな地震がおきたときにどのくらい急いで逃げるべきなのかが自分で判断できるではないか。
原子力発電に賛成する人も反対する人もいると思うけど、僕は現在がどのくらいの耐震基準でできていて、もしそれを強化するにはどのくらいの費用がかかるのかが分かってから、賛成するか反対するかを決めたい。
多くの発電所では、「強化します」と言っているらしいが、それは十分ではなくても強化したといえるので、気休めにしかならないと思う。何をするかだけではなく、どのくらいするかが重要なのだ。だからこの改良で震度7強でも大丈夫になったとか、そういう表現で言ってほしい。
政府には原子力安全保安院という機関がある。これはもちろん原子力発電所の安全性に関する業務を行っている。彼らの責任はどうなのか。・・・彼らは一度でも謝ったのか。今回のようなことが起こると事前に予想して警告したのか。それとも権限不足で満足な査察ができないと以前から訴えていたのか。
東京電力に非があるというのは簡単だけど、じゃあ何をどうすれば今回の件は回避できたのか。僕は反省すべきは原子力安全保安院であって、東京電力ではないように思えてならない。
もし今回の件で東京電力が反省して自分でこういうことがおきないように万全の対策を取るのであれば、原子力安全保安院は(原子力発電所の保安に関しては)何もすることがなくなると思う。だからその部署は解散するべきだ。また、原子力安全保安院が今回の件を反省しないのであれば、やっぱり役立たずなので解散するべきだ。なんといっても彼らは競争にさらされることもなく、十分な給料をもらい続けてきたのだ。それで満足な仕事もしないというのなら、これを悪といわずに何を悪というのか。
僕がこう思ったのは、以下のことを目にしたからだ。2006年(平成18年)の9月19日に「原子力安全委員会」というものが、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」という題名で以下のような趣旨の決定をした。
・想定よりも大きい地震が起こるかもしれない。それは「想定外」とする。このリスクを「残余のリスク」とし、各自の努力で減らす。=つまり責任を放棄して投げ出した
・参考: wikipediaの「原子力安全委員会」のページ
また以前から日本の各地の原子力発電所では、震度4程度の地震で火災が起きたり一部停電になったりしてきたようだ。震度6では放射能漏れも起きたりした。その程度の基準・審査体制だったのだ。その基準なら、今回のような地震と津波が来れば、これくらいの事故になるのは当然ではないか。だから基準が悪い。僕はそう思う。
僕は、各地で地震がおきたときにそれくらいの原発事故があったことはニュースで知っていた。でもそれをあまり問題だと感じていなかった。でも問題だと感じなければいけなかったのだ。だから僕のせいでもある。僕には東京電力を責める資格はない。
福島に住んでいて被害を受けている市民はどうなのだろう。以前から不安だから何とかしてくれといっていたのだろうか。そのたびに東京電力の人に「いや福島第一原発は他の発電所よりも厳しい基準で作っているから大丈夫ですよ」って言われたのだろうか。そういう問答をした市民は責める資格があると思うが、そうでなければ自分の責任も感じるべきだと思う。
僕は今、日本のすべての発電所に対して、どのくらいの地震がおきたらどのくらいの被害が出ると想定しているのか、公開してほしいと思う。非公開にしなければいけない理由なんてないと思うのだ。それがあれば、想定より大きな地震がおきたときにどのくらい急いで逃げるべきなのかが自分で判断できるではないか。
原子力発電に賛成する人も反対する人もいると思うけど、僕は現在がどのくらいの耐震基準でできていて、もしそれを強化するにはどのくらいの費用がかかるのかが分かってから、賛成するか反対するかを決めたい。
多くの発電所では、「強化します」と言っているらしいが、それは十分ではなくても強化したといえるので、気休めにしかならないと思う。何をするかだけではなく、どのくらいするかが重要なのだ。だからこの改良で震度7強でも大丈夫になったとか、そういう表現で言ってほしい。
執筆 :
K-tan 2011-4-23 12:57
突然だけど、究極のOSを思いついた。結論から書こう。それはこういうOSだ。
「何かコンピュータにやらせたいことがあるときに、別のOSを作り直す必要のないようなOS」。
僕たちがOSを作るとき、それは既存のOSではうまくできないことをやりたいから作るのだ(作ることそのものが目的の場合、学習の場合を除く)。それで今でも竹の子のように新OSが生まれる。これはよくないと思う。生産的ではない。
うーん、どうすればこの究極のOSが作れるだろう。
まあコンピュータの用途はいろいろだから、完璧な何かをひとつ作ろうという方法ではたぶん達成できない。だからライブラリみたいなものを作って、それを組み合わせてOSを作ればいいだろうか。つまりOSを作るための部品集?・・・と最初に考えた。
しかし、なんかひとつのOSでできそうな気もしてきた。要するにアプリケーション次第でどうにでもなるようなOSがあればいいのだ。多少効率が落ちるのは避けられないとして、それは気にしないことにしよう。要するにそれはマイクロカーネルということだろうか。・・・よし、1%未満のロスなら許容しよう。これは僕の主観だ。
そしてさらに考えていたら、結局(初期の)KHBIOSみたいなブートローダ的なものから作るべきなんじゃないかということになった。じゃあ作るか。blikeがもう少しでできそうだから、そのあとにKHBIOSを作ることにしよう。今の僕なら以前の僕よりも割りきりがうまくなっているので、すぐにできそうな気がする。
「何かコンピュータにやらせたいことがあるときに、別のOSを作り直す必要のないようなOS」。
僕たちがOSを作るとき、それは既存のOSではうまくできないことをやりたいから作るのだ(作ることそのものが目的の場合、学習の場合を除く)。それで今でも竹の子のように新OSが生まれる。これはよくないと思う。生産的ではない。
うーん、どうすればこの究極のOSが作れるだろう。
まあコンピュータの用途はいろいろだから、完璧な何かをひとつ作ろうという方法ではたぶん達成できない。だからライブラリみたいなものを作って、それを組み合わせてOSを作ればいいだろうか。つまりOSを作るための部品集?・・・と最初に考えた。
しかし、なんかひとつのOSでできそうな気もしてきた。要するにアプリケーション次第でどうにでもなるようなOSがあればいいのだ。多少効率が落ちるのは避けられないとして、それは気にしないことにしよう。要するにそれはマイクロカーネルということだろうか。・・・よし、1%未満のロスなら許容しよう。これは僕の主観だ。
そしてさらに考えていたら、結局(初期の)KHBIOSみたいなブートローダ的なものから作るべきなんじゃないかということになった。じゃあ作るか。blikeがもう少しでできそうだから、そのあとにKHBIOSを作ることにしよう。今の僕なら以前の僕よりも割りきりがうまくなっているので、すぐにできそうな気がする。

